1992年生まれ。青森県八戸市出身。地元の高校を卒業後、埼玉県内の大学に進学。在学中に東日本大震災を経験し、ボランティアとして東北へ。大学を卒業し就職するも退職し、縁のできたいわき市の温泉旅館に住み込みで働くことに。一旦埼玉に戻り大学院に進学したが、いわき市久之浜でつながりのできた漁業サポートのプロジェクトに参画するため、休学し2017年にいわき市へ移住。2019年から久之浜に暮らし、合同会社はまからの一員として、地元で取れた魚の卸販売や地域の子どもたちに水産業の仕事を伝える教育事業などを行っている。
いわき市久之浜では、2019年7月に海水浴場が、そして9月には魚市場が再開しました。東日本大震災から実に9年ぶりです。そのことを何よりも喜んだ1人が、この久之浜に移住した青森県出身の「りんごちゃん」こと榊裕美さんでした。榊さんは今、「合同会社はまから」で、久之浜に漁師を増やすための活動に力を注いでいます。
榊さんが初めていわきを訪れたのは、東日本大震災直後の大学2年生の頃。東北各地でボランティアを続ける中で、自然と地域の人たちと仲良くなっていきました。大学に戻ってから授業の一環で出会ったのが、遠洋漁業の元漁師さん。いきいきと漁業の生業(なりわい)を話す一方、仕事に誇りを持ってはいるが、震災の影響の見通しがつかない中、子どもには継がせたくないという、震災後の漁業を取り巻く社会的な課題を知ることになります。祖父が漁師だったにも関わらず、当初は漁業に興味がなかったという榊さんですが、漁師をテーマに卒業論文を書くまでに強い関心を持ち始めていました。
大学卒業後、一旦は埼玉で就職した榊さんですが、就職先に違和感を抱き退職。その後、社会のあり方や地域について語るいわきの人たちに出会い、榊さん自身もそうしたテーマに関心を持っていたことから、もっとこの地域のことを知りたいと、8ヶ月間いわきの温泉旅館に住み込みで働きました。その後、埼玉に戻って大学院に進み、漁業とまちづくりについての研究をしていた折、いわきのとあるNPO法人から、久之浜のまちづくり事業に関する相談を持ち掛けられます。自身の研究内容や久之浜で出会った人たちのつながりから、「久之浜で何かやるなら、漁業の活性化や子どもを絡めた食育とかかな」などと提案していくうちに、そのプロジェクトに主体的に関わることに。魅力を感じていたいわきの漁師のために何かできるかもしれないと、再びいわきへ戻ります。「埼玉にいた頃は、やりたいことはあっても、具体的に何をしていいのかわからない状態でした。しかもそのタイミングで失恋して、関東での生活のビジョンが描けなくなっていたんです。だから、今しかない!と思いました」と当時を振り返る榊さん。プロジェクト期間は1年間。まずは1年やってみようというワクワク感を持って飛び込んでみたといいます。
2017年にNPO法人ワンダーグラウンドの職員となった榊さん。プロジェクトを進めるに当たり、「とりあえず船に乗ってみる?」と声をかけてくれた若手漁師の遠藤洋介さん――後に、一緒に会社を立ち上げることになる――の言葉に押され、漁師の仕事や想いを学ぶため、自らも漁船に乗り始めます。「漁師のみんなが見ている景色を一緒に見たい。現場を知り、一緒に仕事をすることでしか信頼は得られない」と、1年間船に乗り続けた榊さんが得たものは、漁師たちからの信頼。そして、「漁師ってカッコいい!」ということを多くの人に、特に地元の子どもたちに伝えたいという想いでした。
いわきの漁業は原発事故の影響で未だに本格操業ができず、試験操業として漁ができる時間も短いため、震災前の漁獲量には程遠い状態です。そのため、久之浜の漁師たちも漁業への希望を失いかけており、いわきの漁業を活性化させようという榊さんのプロジェクトにも受け身でした。「子どもたちに魚のことや漁業の仕事の魅力を伝えたからと言って、すぐに漁師になりたいという人が出てくるわけでもなく、『子どもの相手』という通常の仕事以外のことをするわけなので、始めはみんな『りんご(榊さん)にやらされている』という感じでした」。
しかし、榊さんの説得と、漁業に親しむ子どもたちとの触れ合い、そしてそのことがメディアに取り上げられ世間に認知されることで、漁師たちも少しずつ前向きになってきたといいます。そんな新しい芽が出てきたことを感じた榊さんは、原発事故からのいわきの漁業の活性化という、ここでしかできない、誰もやったことのない挑戦を久之浜でやり遂げたいと覚悟を決め、久之浜の若手漁師とNPO法人のスタッフとともに、「合同会社はまから」を立ち上げました。久之浜の漁業を活性化させるべく、この地で捕れた魚を店や個人に卸したり、漁師の魅力を知ってもらうための教育活動などを行っており、今年からはいわき市から教育事業を委託されるようにもなりました。
いつかは生まれ故郷の八戸に戻るつもりだった榊さん。今では「もうここ(いわき)に骨を埋める覚悟です」と笑います。いわきに移住して3年目、住まいもいわき市中心部から久之浜に移しました。「こちらに来る前は『力になりたい』という気持ちでしたが、今は、いち生活者として、漁師のみんなと自然に仲良く同じ時間を過ごしていきたいんです」と話します。移住を考えている人には、「いきなり移住するのではなくて、何度も通ってみて、地域のことを好きになって、地域の人と関係性を深めて欲しい」と勧める榊さん。つい最近も、「漁師になりたい」と訪ねてきた女子大生をサポートしていたとのこと。「『こんなことをやりたい』という覚悟があれば、地元の人は受け入れてくれます。行動すれば認めてもらえるし、飛び込んじゃえば何とかなることも多いです。認めてもらえるように、思いを行動に移し続けるしかないと思っています」と自分に言い聞かせるように話してくれました。
久之浜で榊さんがやりたいこと。それは、自らが「カッコいい」と思った漁師の姿を、漁師たちと共に次世代へ伝えながら、漁師を増やすための教育事業や技術の向上を進めること、そして水産加工業や魚の卸販売を復活させ、久之浜の漁業経済を回すことです。榊さんが久之浜に来たことで、「どうせ何をやっても変わらない」という漁師たちの雰囲気が徐々に変わってきています。「若い漁師の数が少ないことは大きな問題ですが、若い自分が関わることでできることがあると思っています。何かやれば結果がついてくることも分かったので、いわきの漁業は絶対良くなると思います」と話す榊さんの声には、力と確信がこもっていました。
━━取材を終えて福島県の農林水産業、特に漁業は、震災から8年以上がたった今でも風評被害が大きい分野です。しかし榊さんから、「漁師さんって波の色でその日捕れる魚が分かるんですよ」「今日揚がった魚が可愛くて仕方ないんです。これ子どもたちに見せたくて!」という話を聞いたり、自分たちで釣った魚を前に楽しそうにはしゃぐ子どもたちの姿を見たりしていると(取材当日は、小学生たちの漁業体験の日でした)、移住者や子どもたちという、漁業を新鮮に感じられる人たちが地域の担い手に混ざっていくことが大切なのではないかと感じました。(「エフステ」記事より転載)
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